月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

国際競争力をつけたければ日本語を学べ?!

「創造力が低い人ほど、英語を勉強する」

 

Leading&Co. に寄稿された夏目力氏の記事。

創造力が低い人ほど、英語を勉強する。楽天の「重要なことなので日本語で失礼します」は最高のギャグ。|リーディング&カンパニー株式会社

 

共感するところ多々あり、

重要な視点だと感じたので急いでメモ。

 

 上記事をまだ読まれていない方はぜひご一読を。

 

 

超一流大学卒業の英国人と、

そこそこだけど一流とは言えない普通の日本人の私

 

私が昔、

ネイティブのイギリスと付き合っていた時に

「ちょっとこれ、やってみて」と

あるサイトのリンクを送られたことがある。

 

それは「語彙力」を図るサイトで

画面に現れる単語の中から

意味が分かる単語を選択していくと

最後に「あなたの語彙数は〇〇です」と表示される。

 

そういう、簡単なテストで、

お互いの母国語の語彙力を比べよう、という意図らしい。

 

英語ネイティブである彼は

英語の語彙力を、

日本語ネイティブである私は

日本語の語彙力を測定する。

 

このサイトは多言語に対応しており、

英語をはじめ、日本語など数十の

(もしかしたら数百の)言語が網羅されている。

 

測定の結果、

彼の英語語彙数は14,000語以上。

(実は口頭で聞いた記憶が曖昧なためこの数字はかなり怪しい。彼のキャリアを考えるともっとあるはず)

 

※参考までに英語圏ネイティブの平均語彙数は下記の通り。

・中学生:10,000〜12,000語
・高校生:12,000〜17,000語
・成人:17,000〜21,000語程度

 

私はというと、

実に40,000語と産出された。

 

私はピンと来ていなかったが

国語学習では語彙数をカウントする習慣がない)

彼は相当驚いた様子で、

その後、この話題に触れることは一度もなかった。

 

では、私が言語能力に長けていたかというと

決してそうではない。

 

私の最終学歴は中堅ランクの地方国立大学。

中学からずっと理系で国語は最苦手科目だった。

唯一、暗記・方程式型の漢文は例外だったが

現代文、古文は大雑把にしか理解できなかった。

大学受験でも最低点数科目が国語だったくらいだ。

 

対して、イギリス人の彼は

英国が世界に誇るオクスフォード大学卒業生。

専攻はPPE(Philosophy, Politics and Economics:

哲学、政治学、経済学)

という言語を多分に扱うコース。

しかも卒業時は主席クラスの

Aランク(最高評価)という優秀さである。

 

先の語彙数14,000語というのは、

やはりどう考えても怪しいが

平均値から考えると彼がどんなに優秀でも

語彙数は20,000を超えるくらいだろう。

 

それなのに、

割と一般的な(しかも国語が苦手な)

私の日本語語彙数は40,000語。

 

サイトの構成に問題があった可能性は考えられるにせよ、

日本語の言語の豊富さを考えると在り得る数字ではある。

 

もしこの測定結果が正しければ、

日本語の優秀さを示す一つの証拠となるだろう。

 

語彙力の豊富さは思想の豊かさである?!

 

「すべての概念は

 言葉を与えられたときに

 初めて在るものとして形作られる。」

 

「肩こり」という言葉が出来てから

「肩こり」という症状が現れ始めた、という話を

どこかで聞いたことがあるかもしれない。

 

概念は、言葉がなければ形を成さない。

形を成さないとは認識されないという意味だが、

認識されない以上、それは存在しないも同然である。

 

豊富な語彙を有する日本語の土壌で育った思想は

自ずと創造性にあふれたものとなるのだろう。*

 

こんな本を見つけた。

気になるので、読んでみようと思う。

 

www.amazon.co.jp

 

*どうやらこの説は論争の的となっている様子。

(厳密にいうとちょっと違う論点のようだが、

 今日のところはそういうことで勘弁願いたい)

 

書評 「言語が違えば,世界も違って見えるわけ」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

 

さて、この議論、

私の言語能力ではすぐには処理が追いつかないが

少なくとも今後、

生涯にわたって言語能力を磨き続けたいという

モチベーションの原動力にはなってくれそうである。

 

お好きな方は上記リンクをたどり

検証していただきたい。

 

おまけ:「炎上」は実は遊びたいだけ

 

「言葉遊び」という言葉がある。

言葉を道具にして遊ぶこのお遊戯の

起源はどこまで遡れるのだろうか。

 

江戸時代もあったし、

平安時代に盛んだった歌読みは

言葉遊びと言えるだろう。

 

もしかしたら言語が生まれてからずっと

形を変えて存在しているかもしれない。

 

この視点で今の世を眺めると

Twitterとかですぐ炎上しちゃう件」に対し、

新しい捉え方を与えられる。

 

炎上の本質は、

「みんな、この豊かな言語を使った言葉遊びが大好きで

 炎上を仕掛ける人(仕掛けに乗る人)は

 実は自分がその遊びに参加したいだけ」である。

 

そう考えれば、彼らが可愛らしく見えてこないだろうか。

 

炎上に巻き込まれた人も少しは気が楽になるんじゃないかな。

  

(あとは、あれね。

 遊びだってことを参加者が自覚出来れば完璧です。)