月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

エンジェルナンバー525~変化、身体の記憶を書き換えること~

エンジェルナンバー【525】

 
今日のエンジェルナンバーは525.
あなたが経験している大きな変化は最善のものであり、事態はまもなく落ち着くと信じてください。 

 

大きな変化か。

 

身体の記憶

 

先日、かなり久しぶりに

カウンセリングとサウンドヒーリングの

セッションを受けてきた。

 

頭ではわかっているつもりなのに

身体が何かに縛り付けられているように

身動きが取れない。

 

感情は身体と結び付いていて

ずーん、と、身体の奥で重くなっている。

 

そんな感じがあった。

 

それは

変化や可能性に対する恐れから来ていて

大元は幼少期の悲しみやトラウマだった。

 

遡ると

両親への愛と理解し合えない寂しさ

報われない思いが

「愛は憎しみである」

「自分を後回しにして目の前の人の意思に合わせるのは相手への思いやりであり義務」

と変化して私の心と体にこびりついた。

 

大好きだった先生が不意に転勤した悲しみが

「私が大好きになると人は去っていく」

という思い込みを作り上げ私を支配し

 

姉から「自意識過剰」と言われた記憶と

その時の身動き取れない感覚や、言い返せない悔しさが

「自分の可能性を開こうとすると

 身体が硬直し意識は眠り思考が停止する」

という身体反射を誘発していた。

 

それらの思い込みを開放した。

癒着していた身体と言葉を切り離し

新しい感覚を与えた。

 

テレパシー的感受性

私はよく

考えすぎるとか

感受性が強すぎるとか

色々言われる。

 

自分にとって当たり前に話すと

ほとんどの人には伝わらず

時には難しすぎると言われるが、

未だに何故そう言われるのか

完全には理解できない。

 

かといって、

相手の波長に合わせて会話をすると

近付きすぎてしまうのか

やがて相手から軽んじられるようになるし

私が自分のペースに戻ったときに

急に距離を取られたと思われるのか

態度が急変したり

混乱した表情をされてしまう。

 

波長を合わせると会話がしやすいのに

どうやらみんながそれを

出来るわけではないらしい。

 

薄々気付いていたけど

本当は理解できていなかった。

 

波長を合わせるのは

会話の相手に対する敬意を表す

基本的な礼儀作法である、

くらい当たり前なことだと思っていた。

 

でも今まで何千回何万回と違和感を得て

誤解されて嫌な思いも散々して

どうやら本当に通じない人もいるらしい

ってのが、ようやくわかった。

 

嫌な思いをしてまで

相手に合わせようと我慢する必要は

なかったみたいだ。

 

私は子供の頃に純粋な気持ちで

人は無意識下で通じ合えていて

言葉や態度がどうであれ

本当はみんな全部分かっているのだと

思ってしまうところがある。

 

大人になった今でも

本当はそうだと

心の深い部分で頑なに信じているらしい。


でもどうやら、まだまだ

世の中はそうではないらしいのだ。

 

不思議だけど、

みんなが分かり合えてる訳じゃない。

 

だから、

私は私を信じて

出来ることをするだけ。


私は私を真っ直ぐに生きたらよい。



ようやく頭(思考, 脳)レベルじゃなく

体レベルで理解できてきたかも知れない。

 


おまけ

 

初めて聞く話かもしれないから

補足すると

身体の細胞ひとつひとつは

感情の記憶を蓄える。

 

それぞれの感情が

特定の臓器に溜まる*こともある。

 

身体は思考もする。

特に腸に至っては

脳ミソよりもニューロ細胞**の数が

多いとかなんとかで、

脳の指令を受けずに思考しているようだ。

 

腸が第二の脳と呼ばれるのは有名な話。

 

(*関連書籍多数。感覚的経験的な実録が大半だが、医学的に証明された話もあるかもしれない。)

(**記憶頼りに書いてるので違ったらごめんなさい。調べれば類似の文献出てくるはず)