月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

スピリチュアルの傾倒とか、自然との共存とか

いやーー、

スピリチュアルとか神事とか

傾倒すると大変(汗

 

どうも自分の調子がおかしいし

 

専門にやっている人の

矛盾が見えてきちゃう気がして

なんだかなぁ。って思う。

(相手は鏡って視点もあるけれども

 納得できないことはあるよね)

 

私が思うに、

スピリチュアルとか神事をする人って

大学の研究者に似ている。

 

細胞の自己崩壊の仕組みを

何十年も研究して

ビタミンの量の変化っていう

1側面からのアプローチに

何年も費やす。

 

そんな感じって、常人にはできない。

 

その世界に自然と惹きこまれ

生活も違和感なくなんとかなっちゃって、

いつの間にか役割を担っていたような人。

 

外から見ていた人が

ちょっとした憧れでやってみようと

出来る世界じゃない。

 

その世界にいるには覚悟が必要で

その人は人生をかけて取り組んでいる。

 

言葉を変えると「選ばれた人」。

ってことになるのかもしれない。

 

なので、バカにするつもりも

軽視するつもりもないけれど

 

私の場所じゃないんだろうな。

とは思う。

 

私は人間を生きたい。

 

テーマになるのが

「自然」。

 

私は自然と対話して

成長したような子で、

 

自然と共存したい、って

いつも思っていた。

 

それが、あるべき姿じゃないの?

って思ってた。

 

でもどうやら、

自然であればいいってわけじゃないらしい。

 

自然の世界のルールと

人間の世界のルールってのは

ちょっと違っている。

 

自然と共存しているのは

動物や植物の世界。

 

完全な共存で、

ほとんど融合している。

 

人間である”らしさ”ってのは

そこから一歩出たところ。

 

人間は、自然の中に不自然を作り出し

そこで学び成長していく生き物。

 

そう、言われている。

 

不自然を作り出すなんて

なんてことだろう

(バカなんじゃないか)

って思いもするけれど、

 

人間として成長するには

不自然が必要なんだそう。

 

‐‐‐‐‐‐‐

 

こんなことを言っていると

”考えすぎ”って言われる。

 

私が考えてしまうのは、性。

 

ぼーっとしていても

考えてしまう。

 

来年はどこにたどり着くのか。

 

 

このブログの世界は概念の世界。

 

外側には実社会がある。

 

どちらも必要で、

来年はどちらももっと、深くなるかな。