アシュタンガヨギ
インド行の飛行機で
偶然近くの座席にいた
アシュタンガの先生。
インドには定期的に訪れて
練習を重ねているそう。
From Mysore, IIndia....
Posted by Ashtanga Yoga Tokyo on 2015年11月24日
美しい。
旅の目的~2万6千年周期の転換点~
祈りの旅
地球には、
繁栄したのちに消えてしまった文明が
いくつか存在する。
レムリアもそのひとつ。
インドの半島に対して
逆向きの三角形を描く位置に
存在していた大陸。
そこに住んでいた生物は
今の人間のような形ではなく
エネルギー体だったと言われている。
今回の旅では
インド半島の三角形と
レムリアの三角形の交わるポイント
(カニャクマリ)にて
統合の祈りを捧げた。
耳にする方も多いと思うが
今は時代の転換点と言われている。
地球を取り巻く宇宙の2万6千年周期が
変わる転換点。
見えるものと見えないもの
男性性と女性性
陽と陰
(ムーとレムリア)など
相対するものが入れ替わる。
見えるもの、男性性優位だった
1万3千年が終わり
見えないもの、女性性が発揮される(評価される)
1万3前年が始まる。
そのための転換の祈り。
そして、これまで蓄えてしまった
ネガティブなものを解放し癒す
統合の祈り。
過去に女性が受けてきた悲しい記憶。
女性の哀しみを感じ、
痛みを感じ、涙を流した。
同時に、男性に対しても祈る。
レムリアが女性だけだったために
成り立たず滅びたように、
女性には男性が必要である。
男性が争いを生み出したが、
その男性を生み出したのはまた女性である。
男性に対しても、申し訳ない気持ち。
それらを感じ、癒し、統合した。
祈った場所一体は
神々のお祭りムード。
歓迎し、よく来てくれたと。
同行した仲間によると
宇宙船が私たちの黒いものを吸い上げてくれ、
レムリア大陸(見えない世界)が上昇し、
大きなマリア様が現れたそう。
クマリの神様の場所、カニャクマリ。
統合のテーマ例:
統合された龍と鳥。(伊豆のある神社)
好き嫌いを自分に許す~魂の救済。コミュニケーションの進化、ふたご座の満月に寄せて~
好き嫌いを許すこと
好き嫌いがなかったわけじゃないと思う。
ただ昔から好き嫌いを感じてはいけない
表現してはいけないと思っていた。
そこにあるものはあるべくしてあるのだし
必要だから起こっている。
あるいは、その物事が誰かの意志なら
私はそこに合わせるのが
正しい在り方だと思っていた。
「いい子」思考。
あるいは「中庸」思考。
今あえて
好き嫌いをしてみようと思う。
大人になってから
大人げないことをしてみる。
ゼロから自分を立たせるために
どうしてもそれが必要だと感じる。
ゼロから自分を作り上げるには
自分唯一の感覚に正直になり
それを際立たせる努力がいるからだ。
こんな風に
自分を説得していることが可笑しい。
好き嫌いを許すこと。
これってきっと、
未来の私にとって
とても素晴らしい入口になる。
好き嫌い、だけじゃない。
それは徹底的に、私を許すこと。
私を許せれば、人にやさしくなれる。
世の中の出来事に
妙な意味づけをせずに
そのままを捉えられる。
わたしを許すこと
自分自身で虐げてきた
わたし(私)を許す。
ひとから理解されない
私のこだわりも、
ひとと折り合えないのが悲しくて
捨ててしまった私の性質も
ぜんぶ、抱きしめて許す。
変わっていると言われたり
怪訝な顔をされても
私のこだわりや性質は
罪ではない。
そうか、私は
「ひとと違う私」を
心の中で批判し
罰していたんだ。
私を封印し
周囲に溶け込ませることで
罪を償い
新しい罪を生み出さないように
常に見張っていたんだ。
その結果、
自分がないとか意志がないとか言われたら
今度はそのことで
私を責めた。
いつもいつでも
私が悪いって
考えようとした。
私はすり減ってボロボロになっても
それは私が悪いから。
もっと、なにかしなきゃいけない。
もっと、ひとを許さなきゃいけない。
もっと、すべてを受け入れなきゃいけない。
もっと、、、、
だからこそ
ひとに対して本当には優しくなれず
心の中で牙をむく。
痛む傷を守りたい、
見られるのが怖いから。
文章を書きたくなってから
出てきたテーマのひとつは「魂の救済」。
その人の、深い、深い想いを
掘り当てて言葉にすることで
魂が解き放たれる。
それもまた
ひとのためだと思っていたんだけれど
もしかしたら本当は
自分のためなのかもしれない。
ふたご座の満月
11月26日7時44分 ふたご座の満月
神の子と人の子。
神と人のコミュニケーションは
ふたつの異なる世界が手をつなぎ
折り合い、認め合い、乗り越えていく在り方。
理解という思考の次元を超えた
命、魂の次元でのコミュニケーション。
2016年に向けたゲートが
またひとつ開かれる。
好きと嫌いの分かれるインド~見た目と本質の関係性~
インドへようこそ
インドを訪れた人は
必ずまた行きたくなるか、
もう二度と行きたくないか
どちらかに分かれると聞く。
ハワイやタイあたりだと
ほとんどの人が魅了されて帰ってくるし
イギリスやフランスあたりでも
良い思い出は持ち帰ってくるものだけど
インドのように
極端に好き嫌いが分かれる国は珍しい。
インドを訪れて
好きになるか嫌いになるかは
誰とどこに行って何をするかで決まる気がする。
私にとって今回の旅は
とても「贅沢な」時間になった。
訪れた場所も良かったが
何より信頼できる仲間と
それぞれの視点から物事を見れたからだ。
インドの魅力
埃っぽいし人も多いけど
田舎に行くと楽園のような景色に時間を忘れる。
遊び心のあるデザインや
見たことのない色彩感覚が
目を楽しませてくれる。
子どもたちの無垢な瞳と
人懐っこい動物
大人になっても忘れない遊び心
それらを支える深い信仰心と思想に
私は魅了される。
インドの経済格差
目にするのは、もちろん
良い面だけではない。
例えば経済の格差は
日本の比ではない。
路上生活をする人たちもいれば、
月1万円程度の給与で
ほぼ休みなし、24時間体制の仕事をする人もいる。
(この女の子の売る風船は
おそらく1個5~10ルピーくらいだろう。)
そうかと思えば
1皿1000ルピー(2000円程度)のイタリアレストランで
平日の昼間から誕生日祝いをする人たちもいる。
レストランでの誕生日祝いはもちろん
デートだって本当に一握りのお金持ちだけが出来る特権だ。
ほとんどの人はデートなど出来ないそうだ。
結婚相手は親が占星術師を頼りに決めて、
本人に会うのは結婚をした後だという。
見た目と本質の関係
一言で現せば
インドはカオス(混沌)だ。
あらゆる空間に
清濁が混在している。
美しくて
美しすぎないインド。
魂が揺さぶられるほど美しいのに
容赦のない現実を見せられるインド。
日本のようではない、彼らの日常。
日本人の感覚で言うと
決して恵まれているとは言えない環境である。
それでも彼らは、自らを悲観しない。
いや、悲観していないかどうかは
実際のところ分からないが
そう思わせるだけの笑顔を
いつも見せてくれた。
1890年代の思想家でありインドの英雄的存在
ヴィヴェーカナンダの言葉が響く。
西洋の社会は、表面的には楽しそうだがその陰には悲劇が満ちており号泣やすすり泣きがある。インドは表面的には悲しげで陰気だが、実は無頓着で楽しい。
出展:『ヴィヴェーカナンダ』土屋雅昭 著/ 光祥社
インドは一見豊かには見えないが、
そこに生きる人々の背景には
深い信仰心、すなわち人間という存在への絶対的な信頼と
人生を楽しむユーモア、すなわち豊かさが流れている。
物事の見た目と本質の関係性は、思うほど単純じゃない。
「人間」を知りたくなったら
まずインドへ一度足を運ぶといいと思う。
何が見えるかは、人によって違うけれど
きっと今の自分に必要なものが見えてくる。
見えるのは
あるいは今の自分自身かもしれない。
インドの旅
南インドの旅
インドから戻って
一週間が経った。
今回の旅は
日本からニューデリーに入り
ムンバイへ飛行機で移動。
そこから南下して
インドの最南端、カニャクマリを目指すルート。
カニャクマリは
3つの海が交わるポイント。
ヴィヴェーカナンダ*が悟りを開いた場所であり
古くからの聖地である。
(*インドおよび西洋にヨガの教えを広めた人物)
8日間の旅は慌ただしく
時間の感覚さえ忘れていた。
詳しい旅の内容はいつか書くけれど
今回は今の感覚を記したい。
インドは魂のふるさと?!
8日間の旅を終えて帰国した私は
何かが変わってしまったようだ。
はっきりとは言えないけれど、
旅行以前に興味を持っていたことに
まったく関心がなくなり、
自分が何をしようとしていたのかさえ
思い出せない。
実を言うと、味覚も少し、
変わってしまった。
ちょっとだけ違う自分自身に
生まれ変わったようだ。
インドは
「人間として生きる」意味を
あらゆる角度から
見せられる場所だった。
私が必死で求めていた
人間としての生々しさは
すでにそこに十分すぎるほど存在していた。
私が必死で探していた何かは
インドを旅することで
自然と満たされてしまったのかも知れない。
私はインドにいる時に
自分自身であったような気がする。
私は日本人の両親の間に生まれて
日本で育ったけれど
日本の方が異郷で
インドの方が故郷のように
思える時がある。
「インドは魂のふるさと」と、
誰かが言っていた。
今はその意味が分かる気がする。
訪れたものを
もう一度、無に帰す場所。
無からまた、始まる。
Amazing Graceという曲が出来た経緯 ~黒人奴隷という暗黒の歴史~
Amazing Graceという曲の出来た経緯
Amazing Grace (アメイジング・グレイス)を
一般的な讃美歌と思っている人も多いだろう。
確かに神を讃える歌詞であるし
教会で歌われることも多いようだ。
しかしその曲の裏には
奴隷制度の生きていた時代の
物語が隠されている。
アメイジング・グレイスの作詞家は
ジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。
彼は20代前半の若いころに奴隷船の船長をしており、
アフリカで捕まえた多くの黒人を、
船に積んで運ぶ仕事をしていた。
ある時、彼の船が嵐で難破しかかった。
沈没しかかる船のなかで神にすがってお祈りをする。
九死に一生を得た彼は、その経験をきっかけに信仰心に芽生え、
今までの自分を懺悔する気持を歌にする。
「神は私のような卑劣な者(wretch)を救ってくれた」
というわけだ。
しかしこれは日本で知られた一般的な説である。
ここでは書かれていないストーリーがある。
私が聞いた話はこうだ。
奴隷船の船長をしていたニュートンは
いつものようにアフリカで捕まえた黒人達を、
船に積んでアメリカ大陸へ運ぶ途中だった。
奴隷は人間ではなく家畜として
船底に押しこまれて運ばれていた。
排泄物は垂れ流しのままの船底で
病気や飢えで死ぬものが多かった。
ある夜のこと。
どこからか
あ~、う~~~、という声が聞こえる。
その声は、不規則なうめき声ではなく
旋律を持った深く響く音だった。
よく耳を澄ますと
その声は船底から聞こえてきていた。
劣悪な環境で物のように運ばれ
すぐ近くで仲間が死んでいく。
そんな悲惨な環境にいる黒人たちが
自らを鼓舞するためか
それとも死者を弔うためか
声を合わせ
魂の歌を歌っていた。
それが、アメイジング・グレイスのメロディである。
その声を聴いたニュートンは
涙を流し、ふと、我に返る。
私は
なんということをしていたのだろう。
この話が
船の難破事件のあとか
その前かは忘れてしまったけど
とにかくその後、ニュートンは奴隷船を降り
私財をはたいて牧師の道へ進んだ。
奴隷船の過去を背負った曲。
魂の救済を象徴するような曲。
だからこそ、この曲には
ゴスペルが良く似合うのだろう。
なお、この話は
インドに生まれアメリカに住む
ある歌い手から聞いた。
シルク・ド・ソレイユ "O"(オー)伝説の歌姫
Gina Sala(ジーナ・サラ)という歌い手がいる。
彼女はインドのアシュラム*で生まれた。
住み込みで学ぶのが一般的。)
チャーミングな笑顔が印象的で
小柄で細身の身体からは想像できない深い声音と
インド音楽らしい声の抑揚が特徴だ。
彼女はその独特な歌声で
オーディションを勝ち抜き、
世界的パフォーマンス集団の
シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque Du Soleil)の
メインボーカリストを務めた。
演目は"O"(オー)。
ラスベガスで通年開催されている
一番人気の演目で
570万リットルもの水を使用した
ダイナミックなステージと
生と死をテーマにした夢幻的な雰囲気が
見るものを魅了する。
ジーナ・サラ(Gina Sala)
シルクドソレイユ"O"伝説の歌姫・ジーナ・サラ:1 - YouTube
現在はこの演目は卒業し
インド音楽に専念しているようだ。
インド的歌会 Kirtan
インド音楽(キルタン、Kirtan:インド的歌会)
ってこんな感じ。
↑怪しく見えるかな?
これ、普通の光景です。
みんなで声を合わせて歌うの、結構気持ちいいよ。
場がね、一体になるのよね。
自分の声がどんどん変わって
”開いていく”のが体感でわかる。
彼女のワークショップ良かったなー
また行きたい。。。(回想)