月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

生まれ変わり

生まれ変わったようだ

 

女性と出産

女性は、子供を産むと

一度生まれ変わる、と

どこかで読んだことがある。

 

それは、

子供が母親の悪いもの

(長年ため込んだ化学物質とか)を

 

全部引き受けて共に排出してくれるからだ、とか

骨盤が開いてどうの、とか、

ホルモンの分泌がどうの、とか

それっぽい説明は忘れてしまったけど、

 

世の中の母たちの

出産話を聞くにつれ、

それもあり得るのかもしれないと

思うようになった。

 

会陰が切れる、はまだイメージつくけど

(痛さじゃなくてね、具体的な現象としてね)

 

痛さの説明で

スイカが鼻から出るくらいとか、

もう、常軌を逸していて

まったく想像がつかない。

 

そんな話を聞きすぎて

いい年になったわたし。

 

自分の番になったら、無痛分娩してくれるところ、

必死で探すかも。

 

生まれ変わり、シフト

さて、本題。

 

出産みたいな壮絶な経験を経なくても

ひとは、生きてるうちに何度か

生まれ変わっていると思う。

 

細かい部分では

感覚が変わることもあるし、

嗜好が変わることもあるし、

価値観が変わることも、

思想が変わることも、

往々にしてある。

 

そういった細かい変化以上の、

もっと深い、

自分を形成している信念レベルの変化だってあるし、

 

物事を捉える角度が

もう無意識レベルから変わることもある。

 

そういった大きな変化を

生まれ変わり、シフト、と呼ぶのが

私の中でしっくりくる。

 

私はこれまで、

何度かそういうシフトを経験してきた。

 

この前の満月も、

ある一つのシフトの瞬間だったように思う。

 

9月1日の日記

生まれ変わったようだ。

 

今までは”生活”というのを毛嫌いして

投げやりに生きていた。

 

投げやり、という言葉は乱暴だけど

つまりはその日暮らし的に、

刹那的に、いい加減に、という意味だ。

 

未来のことを考えていなかったとか

すべてが適当だったという意味ではない。

 

むしろ、

未来をとても求めていたし、

そのときそのとき、全力を振り絞るように

必死で、過剰なほど必死に生きていた。

 

いま思い起こすとまるで、

「いつまで生きれるかわからないのだから

 やりたいことをたくさん、

 とにかくたくさんやり切ろう。」

というような、強烈な焦燥感だった。

 

10代から20代の半ばまでは

正体のわからぬ不安や焦燥感が

昼夜問わず私を襲っていた。

 

手の先がしびれ、背骨の真ん中の筋が

きゅーっと絞られる感覚、それが日常だった。

 

せかされるように生きる。

生き急ぐ、とは、あのことだろう。

 

後先考えず、

とにかく目の前のことを貪った。

 

学ぶのもそう、

経験するのもそう。

手段は問わない、とにかく経験したい

と考えるほど、思いつめれれることもあった。

 

悩みも多く、苦しくて苦しくて

悩みを解くためにまた焦って経験を求める。

 

服を着替え、脱ぎ捨てながら

走り続ける感じ。

 

脱ぎ捨てた服はそのままそこに置き去りにされ

私の記憶の中にしか残らない。

 

 

いつか、過去世の話をしたときに、

「20歳くらいで死んだ過去がある」と言われ

それが妙に説得力があった記憶がある。

 

うん、それ、すごい、わかる。

 

20歳くらいの私は、

ちょうど鬱の真ん中で、

自分がこれからどう生きるべきなのかも、

どう生きたいのかも、

まったく見えなくなっていた。

 

あの時も、一度生まれ変わった。

そして焦るように何かを求め続けたのは

その時経験しなかったことを経験したい、

出来るうちにすべてやり切りたいという

私の魂のかけらの欲求だったのかもしれない。

 

あの時の私には、自分の命よりも、経験の方が重かった。

 

そうやって走り続けた私は、

26歳ですべてやり切った気持ちになり

原動力を失って再び迷い、そして今に至る。

 

私はまた、生まれ変わった。

あの時から10年。

 

焦燥感はとっくの昔に消え去り、

忌み嫌っていた家族の中で

かつてないほどの安心感、平安を感じた。

 

そして、また新たに

ゼロからひとつひとつ積み上げながら

丁寧に生きたいと

思えるようになった。

 

ようやく、

人間になれたのかもしれない。

 

ようやく、

自分を生きようと

しているのかもしれない。

 

そんな私の理想は、

ムーミン谷のムーミンパパ。

 

パパが素晴らしいのは、

日常を愛し、慈しんで生きていることと、

思い出と創造性で、食べていること。

 

その話は、またの機会に。