月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

劇的な変化はまだ続く

最近、会う人が変わっている。

 

会う人、物事がどんどん

本能的、感覚的、偶発的、情熱的、な方向に進む。

 

軽くて、エネルギッシュで、熱い、

そういうエネルギーを持った人たち。

 

彼らと触れていると、自分のブレーキに気づく。

私もまだまだ殻がある。

 

彼らには、そんな殻はない

(か、少なくともそのように見える)。

 

「殻を脱いじゃえよ」という自分の声と同時に
言い訳も浮かぶ。

 

・タイミング

・恐れ

・年齢

・自分本来の性質

 

これが言い訳。

 

タイミング

人生の時期、というのは確かにあるような気がしている。

 

いつかどんなに「したい」と願ったことも

「行きたい」と願った場所への思いもその時には叶わず、

 

少し年月を経て忘れたころにふと、何気なく叶うこともある。

 

あ、簡単だったな。

そうか、あの時は時期じゃなかったんだな。

 

そういうタイミング。

 

恐れ 

「ひとは知らないものを恐れる」

 

これは外的な人・物・事に限らず、

自分に対しても当てはまる。

 

自分、というのは

自分の内側に存在する未知の領域のこと。

 

未知の感覚、未知の可能性、

開いてしまうと見えちゃう自分自身。

 

もしかしたらそれは、

自分が一番認めたくなくて

必死で隠してきたことかもしれない。

 

自分の可能性を

わたしは実は、すでに本能で知っている。

 

知っているからこそ、

それを手に入れたいと心の底で切望する反面、

未知なるものに出会う事を恐れている。

 

だから、殻を脱ぐのが怖いの。

 

本当は、殻を脱ぐことでずっと軽く羽ばたけるとしても

着ている方が慣れていて安心できるのね、きっと。

 

年齢

 

勢いだけの年齢を過ぎた。

盲目的に何かに陶酔出来る年齢は過ぎた。

 

勢いは、情熱とは違っている。

 

情熱は心の奥底から湧き出るマグマみたいなもので、

勢いっていうのはどっちかっていうと

マグマに温められて湧き出た蒸気みたい。

 

年齢を感じるとか、言い訳にしちゃうのは少し、

寂しい気がする。

 

でも、解釈の問題ととらえることに決めた。

たぶん、いい面もあるでしょう。

 

 自分の性質

 

実際のところ、「軽くて、エネルギッシュで、熱い」に

全力で突き進みたいかと言われると、そうではない気がしている。

 

これはやはり私の性質なのかな。

 

勢い第一では落ち着かず、しっとりしたところ、

カチッとしたところがあることで安心する。

 

言い訳、おわり。

 

宇宙のはなし

 

宇宙的に見ると、

この2015年の9月は”とにかくパワフル”な時期だそう。

 

私が体感しているように

容赦なく構成が組み変わり

自分本来の在り方、魂の声に従うほうへ、

こころと現実が動くとき。

 

今月が終わるときに

自分の中外に残っている情熱、意志、想い。

 

それが、今後の自分を示す。

 

魂の声のほうへ。

 

周りを見ていると、

多かれ少なかれ誰しもが

その流れにいるように思う。

 

必要な学びを終えるともう、

自分に うそ はつけない。