月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

諦めないということ

想いがあるなら、諦めないこと


某講座にて

ノンフィクションライターの

城戸久枝(きど ひさえ)さんの話を伺った。

 

彼女の父親は中国残留孤児。

文化大革命の最中、28歳で

逃げるように日本へ渡ってきた。

 

彼女自身は日本で生まれ日本で育った。

幼少期は、父親の境遇には全く興味がなかったという。

 

ところが、20歳のころ

ふとしたきっかけで中国に縁が出来始める。

 

父親の故郷を訪ねた時、

満州鉄道時代のマンホールを踏んだ。

 

 その瞬間、

激動の中国を生きた日本人たち、

時代に翻弄されながら生き抜いた父親、

そして今ここにいる自分が

時空を超えて繋がった。

 

彼女は

父親の満州時代の話を書くことが

自分の使命だと悟ったという。

 

当時21歳。

 

その後、中国へ2年間留学をする。

中国での取材、親戚への訪問、

父親へのインタビューを重ねた。

 

10年かけて書き上げた1冊

『あの戦争から遠く離れて~私につながる歴史をたどる旅』

 

デビュー作ながら

・第39回大宅壮一ノンフィクション賞

・第30回講談社ノンフィクション賞

・第7回黒田清JCJ新人賞

を受賞。

 

その後、NHKでテレビ化もされた。

 

最近は、7年かけて書いた続編も出版されたそうだ。

 

 

彼女は言う。

 

「想いがあるなら、

とにかく、諦めないことだ。

 

私は器用に早く書けない。

デビュー作は10年、続編も7年かかった。

 

でも、無理に早く書こうとは思わない。

人それぞれに"役割"があるのだ。

 

“車到山前 必有路”

(車、山前に到り必ず路有り)

 

諦めなければ、必ず路は開ける。」

  

 

人との出会いについて


城戸さんが言うには

「昔に比べて、

嫌われる直前まで攻めてくれる

"良い"編集者さん*が減った」そうだ。


彼女は、デビュー作は

担当編集者さんとのご縁無しでは

成り立たなかったと断言する。


その編集者さんは、

もちろん"良い"編集者さんであり、

当時は大変だった。

しかし、彼がいなければ

今の私はいない。

私を鍛えてくれて心から感謝している

と仰っていた。

("良い"編集者さんとは言うものの、

  書き手の中には色々言われたくない

  タイプもいるから、結局は相性らしいが)


さて、

彼女が中国に行き使命感を得た体験も、

突き詰めると人や物事とのご縁である。

そして全ての物事が

絶妙なタイミングで彼女の前に現れている。


まるでご縁が

「さあ、準備は出来た。次に進む段階だよ」

と教えてくれているようだ。

 

「諦めなければ、必ず路は開ける」とは、


ご縁(サイン)を待て。

しかるべき準備が整ったとき、

それはあなたの前に現れる。

サインが現れたなら、

喜んでそれを受け取りなさい。


というメッセージを含むように

私には思えて仕方がない。