月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

意識の移り変わりの速さ

20歳くらいのころは

毎日、自分の思考が変わっていた。

 

それを形にすれば良かったのだけど

もっと小さいときは「できない」「してはいけない」観念が強くて

動きが取れなかったし

そのために20歳くらいになっても

なんらかの技術をもっているわけではなかった。

 

早い人は、そのくらいの歳にはもうとっくに動いてる。

 

私は彼らを見て羨んだ。

 

でも、いま私はそこにいないのだから

羨んでいるのではなくて

いま出来ることをやればいいと。

(イメージとの乖離があって

 道のりが遠過ぎると感じても)

 

「意識高い系」ってのが、

いまいちピンと来きてなかった。

それってつまり、私がそっち側ってことなのかもしれない。

 

ただそういうタイプが出来上がるのって

前述のような幼少期があると思う。

 

動きたいけど

動くと怒られて制限することを覚えてしまう。

それが体に染みついて

実体のないものは縛りつけられないから、

思考と感情が暴走してうごめく。

 

うごめくものを自分では抑えきれないし

そもそも正体がつかめず、ますますもがく。

 

その繰り返し。

 

そこから脱却しなきゃ、っていう焦り。

 

過ぎていく時間。

 

何もしていないようで

何かしているんだろうけど

 

一体何なのか分からない、っていう

堂々巡りの思考。

 

 

私を押さえつけているものは何だろう。

自分で自分を、

めちゃくちゃ縛っている気がする。

 

本当は、そんなものないのに。

 

 

これも、感情の噴出かな。

 

すごーく、すごく深いところに抑え込んでいた感情が

湧きだしてきている。

 

もう忘れていて、

固まりかけていたマグマが

動き出したみたいな。

 

 

思春期に、戻ったみたいだ。

 

 

これはいったい。。。

 

 

思考がまとまらない。

まとめようとするとたけり狂う。

 

 

とにかく身体を動かしてみる。

それなら出来るから。

 

 

これは、金縛りを解く感覚とも似ている。

 

 

金縛りの解き方は、ひとによるらしい。

私の場合は、

まず、手の先足の先を動かしてみる。

 

それで動けばいいけど、たいてい動かない。

 

そういうときは、首を動かす。

思いっきり力を込めて

何とか首の角度を変える。

 

仰向けになっているなら

首が真横を向いて肩も一緒についてくるくらい

動けると、その瞬間に一気に金縛りが解ける。

 

 

いま、意識において

それをしている感じ。

 

意識の場合、

具体的な方向がないから

解き方が難しい。

 

解いた後にどうなるのかも

わからないからなおさら。

 

金縛りだっていうことさえ、

いまようやく気づいたようなものだもの。

 

気づいてなきゃ、解けないわ。

 

 

そして気づいた今、

解ける日は近いのかしら。