月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

ヘリオセントリック占星術という新しい考え方~自分の枠を飛び出して外に働きかける~

太陽からみた星の動きを考える

 

自分を中心とする従来の占星術に対し、

太陽を中心に考えようというのがこの占星術

 

視点の違いは地動説と天動説を考えるとイメージしやすいだろう。

 

太陽を中心に考えることで、

自ら人生を豊かに創造する視点を授けてくれるという。

 

わたしの運命がわかる地球星座占い

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著者の村松先生は、占星術の大家。

長年の研究ののち、この理論を作ったそうだ。

 

従来の西洋占星術

地球中心:ジオセントリック(Geo「ジオ」は地球の意)

この占星術

太陽中心:ヘリオセントリック(Helio「ヘリオ」は太陽の意)

と呼んでいる。

 

狭い視点から広い視点へ

 

従来の占星術は「個人の主観」を重視した占星術であり、

良い面もあるがパーソナルな視点に閉じ込められやすい危険性もあると説く。

 

パーソナルな視点とは、いわば狭いカゴのようなものです。すべて「今の自分の主観」が基準で、自分にとって都合のいいものは幸運となり、不都合なものは不運となります。(中略)この瞬間、その人に幸運に思えるものが、長期的・大きな視点から見るとマイナスになることもあります。逆に試練に思えたものがその人を成長させることもあります。「良薬口に苦し」といいますが、いくら自分のためになるものであっても、そのことを理解できず「苦いから飲みたくない」と駄々をこねる子どもを生み出すような側面がジオセントリックにはあるのです。

 

もちろん、従来の西洋占星術を用いながらパーソナルな視点に縛られない読み手もいるが、そういった方は貴重なのかもしれない。

 

ヘリオセントリックの視点では、自分という小さな枠に囚われず、高く広い視点から自分を俯瞰する。迷路を想像して欲しい。自分のいる場所からそらを見上げても全体は見えないが、高い場所から下を見れば自分がどこにいてどこに向かうのかが分かりやすい。

 

創造性を発揮したい人へ

 

太陽は自ら光を放ち、無から有を生み出す創造性を現す。同じようにた各々が個性を放ち人生の中で創造性を発揮する視点を、ヘリオセントリック占星術が与えてくれる。

 

誤解を与えそうなので補足すると、松村先生はジオセントリックを否定しているわけではない。なぜなら、ヘリオセントリックでは月を考慮しないため、日々の繊細な変化を扱うには適していないからだ。

 

 日々のこまごましたこと、たとえば目の前の現実社会における個人生活や環境への適応力、感情の結びつきである恋愛や人間関係に対処していきたい場合、月の働きを考慮するジオセントリックは活用できるはずです。それに対し、日々をただ淡々と生きるのではなく、人生全体をもっと創造的な可能性で満たしたいと考えるときには、ヘリオセントリックの視点が欠かせないものとなるでしょう。

 

●ジオセントリック占星術に向くこと

→社会への適応力、恋愛や人間関係など感情に関すること

●ヘリオセントリック占星術に向くこと

→人生のテーマ、いかに自分の使命を果たすか、力を発揮するか

 

より俯瞰的に、より創造的に。

 

今の時代を生き抜く上で、自ら輝き生み出す創造性は欠かせない。

 

ヘリオセントリック占星術の視点が、自分の殻を打ち破り大きく羽ばたくための新しい原動力を授けてくれるように感じた。

 

おまけ

 

余談だが、私は過去に一度、松村先生にお会いしたことがある。

松村先生は一時占星術の教室を開いていたが、そちらはすでに引退しており、新規の生徒は募集していない。代わりに、かつての教え子限定でフォローアップ教室を開いていた。そこでは、教え子がホロスコープを読み、それに対して松村先生が補足、評価を加える。大学院のゼミのような雰囲気とスタイルで、私はそこに”読まれる”ボランティアとして情報を提供し、ホロスコープを読んで頂いたのだ。

プロジェクターとスクリーンの前に椅子と机が置かれ、壁に備え付けの本棚には古そうな分厚い本がびっしりと並んだ12畳くらいのやや殺伐とした部屋は、まさに教授の研究室といった雰囲気だった。

 

私が先生に言われたのは「あなたはブーメランのように遠くまで行って戻ってくる人生ですね。」「私が企業の採用担当だったら、あなたみたいな人は試しに採ってみたいけどね。面白そうだから。」の言葉。

 

ええ、ぜひ、試しに採っていただきたいです!今はもういいけどね。

 

松村先生は当時「オーラは練習すれば見える」と唱えてトレーニングの教室を開かれていた。今もやっているのであれば、ご指導願いたいものである。