月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

氏神様のお参り~昔はおじいちゃんおばあちゃんが伝えてくれていたこと~

氏神

 

日本なら、どこの土地でも

氏神様(うじがみさま)というのがある。

 

すべての住所に対して

その土地を守っている神社が割り当てられており

 

すべての情報は

神社庁にて管理されている。

 

管理は各都道府県別になっているので

問い合わせ先は各都道府県ごとに異なる。

 

↓全国の神社庁一覧

氏神様の調べ方 - 開運さんぽ

 

私は現在の住所に今年の4月に引っ越したが

実は、氏神様にまだご挨拶をしていなかった。

 

というのも、近くに水神様があり、

そこに行けば問題ないだろうと

ろくに調べもせずに考えていたからだ。

 

そんな私に昨日、お叱り*1があったのだ。

お詫びとご挨拶、正式参拝をするようにとのこと。

 

日本神道のルール

 

日常的に神事を行っている方の話では

一番の足元は『ご先祖』と『土地の神様』。

そこに筋を通さないとエネルギーがグランディングせず、

何をやってもうまく回らないのだということ。

 

日本神道には日本神道のルールがある。

自分の土地神様さまが玄関口となり

そこから地区を管轄する神様に伝言され

明治神宮など大きな神社に行く様になっている。

 

人間界で会社の社長の前に筋を立てて行くように、

見えない世界にも同じシステムがあり

普通の人がいきなり明治神宮に行っても相手にされない。

 

これをしない事には何処で何をしても通らないし、

行けばいくほど、かえって苦しくなると。

 

そこで、その方のアドバイスの元、

「今までおろそかにして来た事へのお詫び」

「インドに行って来た事の報告」

「これから神様の筋を通すとのご挨拶」

 を行ってきた。

 

頂いたメッセージ

(時系列で読みにくいと思いますが、まとめると細かいところがだいぶ省略されてしまうので、このまま記述します)


<参拝前>
門の前でご挨拶。風が吹いて答えてくれるも、少し待たされる出来事あり。
一呼吸おいてから入れました。
整った"キレイな"神社という印象。
隅々までほころびがなく、丁寧に守られているようです。

 

<本殿にて>
一度目の参拝:
最初、本殿の前に立った時、頭上で複数のカラスが鳴き飛び回っておりました。
お詫びとご挨拶をしたところ、風が強く吹きました。
その後、いくつか言葉を頂きました。

 

*最初に頂いた言葉を忘れちゃいました!メモ必須ですね。

土地に根差して生きるのは、そんなに難しいことじゃないのよ
(土地に根付けないところがあって、いつも転々としている私に。)

 

「今月の"生命の言葉":神道に書籍なし。天地をもって書籍となし、月日をもって証明となす。神道には経典がない。自然から学び、人々が伝えることで教えとするのである。)」

 

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本殿は、なんだかお母さんのような、おばあちゃんのような、厳しいけれどあったかい女性という印象でした。

目をあげると、実家の家紋に似た木瓜の紋が!
ご先祖にご縁のある神社なのかもしれません。

後で宮司に紋について聞いたところ、木瓜ではなく梶(かじ)だそうです。


末社厳島神社にて>
美しい錦鯉がいて、近くには鳩。「龍と鳥」が頭に浮かびました。
門から入り手を合わせると強めの風が吹き始めました。
ここではない少し遠くから来てくださった感じ。

 

あなた(私)は本当の感覚(感情)を恐れているようですね。開くのを怖がっている。恐れなくともよい

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末社:稲荷神社にて>

お稲荷さん(狐)は個人的にどうも苦手で、すごく怖いです。
いつもはお稲荷さんは避けちゃうのですが今回は導いてくれた方の励ましがあって参拝出来ました。

 

恐れるものの中に玉(ぎょく:本当に求めるもの、真に美しいもの、純粋なもの)がある。

恐れを避けるように焦って進まなくてもよい
(何かに気づかないために今を無視して先を急ぐ癖がある私に。)

 

神も人間も同じである。そのように心得て、日々謙虚に精進せよ
筋を通すとか、会話をするときとか、生きていくうえで当たり前にするような気遣いについての意。)
(補足:私は人間ってものが理解しにくくて自分を含めた人の心に非寛容、無慈悲になることがあるので。理屈と自制心で感情を処理しがちなのは、水瓶座の特徴らしいです。私には課題の多い学びであります。)


<再び、本殿にて>
呼ばれたような気がして、末社に参った後に再度参拝:
*最初の言葉を忘れた~(失敗した~)と思っていたら
「(笑って?)大丈夫、またお話ししましょう。いつでも来なさい」と。

 

<正式参拝について>
宮司さんに伺ったところ、快く引き受けてくださいました。
ちょうどお財布に5千円札しかなく、それを出したところ「では、せっかくなのでご祈祷しますか」と。
神恩感謝にてご祈祷していただくことになりました。

 

ふと浮かんだこと。「待つことを、学んでいるのだよ
(待つのが苦手な私に。苦手なのに、じっと待たなければいけない状況に何度もおかれていました)

「これらすべてを、彼らに伝えなさい(みなさんのこと)。私(それぞれ)が感じたことが私(その人)の真実。人によって、真実は違う。

 

これからのこと

 

インドで大仕事をしてから、

どんどん自分の感覚が変わっている。

 

今世でやるべきことをひとつ、

終えたような感じだ。

 

これまでは、私の意志じゃないものに

翻弄され、理屈では理解できない状況に

陥ることもしばしばだった。

 

実家、祖先のカルマ、住んだ土地、

長時間滞在することになった土地、

時には関わった人々の浄化と昇華を

担わされていんじゃないかと

感じることも何度もあった。

 

インドでの旅を終えて

 ようやく、自分自身を生きれるという感覚。

 

20年か、25年か、そのくらいの年月をかけて

ひとつのことを為した感覚。

 

背負っていたものが徐々に軽くなり

感覚も思考も、クリアになってきている。

 

このブログも、どういったことを書いたらいいのか

正直よくわからないでいる。

 

しばらくは、感じた事を素直に書いていこうと思う。

 

今までとは、だいぶニュアンスが違うけど

また新しい気づきがあるだろう。

 

導いてくれたすべての存在、

最近ご縁のあった、阿蘇・高千穂・熊野の神様。

インドの神々、近所の鷲神社さんに感謝したい。

 

そしてとても大事なのは、

神様よりも何よりも

今を生きている人間の皆さん。

 

導いてくださった方、

出会ってくださったすべての方のおかげで

今の私があるのだと、

素直に思える。

 

昔はおじいちゃんおばあちゃんが伝えてくれていたこと

 

昔は、こういったこと(神様とのかかわり)は

家長が率先して執り行い

自然と家のものに引き継がれていったはずである。

 

それは、自分の欲を見たそう

願いを叶えてもらおうとするエゴでなく

 

純粋に土地を守りたい気持ち、

家族や仲間の幸せを願う気持ち。

 

実はそれが社会の下支えとなり

国を守っていたんじゃないかと思う。

 

見えないものに感謝することを

軽視してはいけないと感じる。

 

言葉だけじゃなく

実際に行動を起こすこと。

 

それは派手なことをするのではなく

日々の細々としたことを

大切に執り行うこと。

 

大きな神社(聖地)にばかり祈るのではなく

まず土地の神様に祈り、報告と感謝を伝え

導き、支えてもらうこと。

 

「人間は神」というけど

「神も人間」と認識をもちたい。

 

日々、謙虚に。

穏やかに。

 

新たな気づき

 

ああ、そうか。

これってすごく「普通」のこと。

 

一回りして

「普通」に戻ってきた。

 

普通のことが普通に出来るって

なんて有り難いことだろう。

 

以前は気が付かなかったこと。

 

ぐるぐると回っているようで

私も確かに進化、しているのかもしれない。

 

 

*1:体感として、頭が痛い、背中が苦しい、物事がどうもうまく運ばない、というようなこと。言葉として伝えられるのは具体的な行動の指南であり、お叱りではなくむしろ救い