月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

好き嫌いを自分に許す~魂の救済。コミュニケーションの進化、ふたご座の満月に寄せて~

好き嫌いを許すこと

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好き嫌いがなかったわけじゃないと思う。

 

ただ昔から好き嫌いを感じてはいけない

表現してはいけないと思っていた。

 

そこにあるものはあるべくしてあるのだし

必要だから起こっている。

 

あるいは、その物事が誰かの意志なら

私はそこに合わせるのが

正しい在り方だと思っていた。

 

「いい子」思考。

あるいは「中庸」思考。

 

今あえて

好き嫌いをしてみようと思う。

 

大人になってから

大人げないことをしてみる。

 

ゼロから自分を立たせるために

どうしてもそれが必要だと感じる。

 

ゼロから自分を作り上げるには

自分唯一の感覚に正直になり

それを際立たせる努力がいるからだ。

 

こんな風に

自分を説得していることが可笑しい。

 

好き嫌いを許すこと。

 

これってきっと、

未来の私にとって

とても素晴らしい入口になる。

 

好き嫌い、だけじゃない。

 

それは徹底的に、私を許すこと。

 

私を許せれば、人にやさしくなれる。

 

世の中の出来事に

妙な意味づけをせずに

そのままを捉えられる。

 

 

わたしを許すこと

 

自分自身で虐げてきた

わたし(私)を許す。

 

ひとから理解されない

私のこだわりも、

 

ひとと折り合えないのが悲しくて

捨ててしまった私の性質も

 

ぜんぶ、抱きしめて許す。

 

変わっていると言われたり

怪訝な顔をされても

 

私のこだわりや性質は

罪ではない。

 

そうか、私は

「ひとと違う私」を

 

心の中で批判し

罰していたんだ。

 

私を封印し

周囲に溶け込ませることで

罪を償い

 

新しい罪を生み出さないように

常に見張っていたんだ。

 

その結果、

自分がないとか意志がないとか言われたら

 

今度はそのことで

私を責めた。

 

いつもいつでも

私が悪いって

考えようとした。

 

私はすり減ってボロボロになっても

それは私が悪いから。

 

もっと、なにかしなきゃいけない。

もっと、ひとを許さなきゃいけない。

もっと、すべてを受け入れなきゃいけない。

もっと、、、、

 

だからこそ

ひとに対して本当には優しくなれず

心の中で牙をむく。

 

痛む傷を守りたい、

見られるのが怖いから。

 

 

文章を書きたくなってから

出てきたテーマのひとつは「魂の救済」。

 

その人の、深い、深い想いを

掘り当てて言葉にすることで

魂が解き放たれる。

 

それもまた

ひとのためだと思っていたんだけれど

 

もしかしたら本当は

自分のためなのかもしれない。

 

ふたご座の満月

 

11月26日7時44分 ふたご座の満月

 

ふたご座の兄カストルと弟ポルックス

神の子と人の子。

 

神と人のコミュニケーションは

ふたつの異なる世界が手をつなぎ

折り合い、認め合い、乗り越えていく在り方。

 

理解という思考の次元を超えた

命、魂の次元でのコミュニケーション。

 

2016年に向けたゲートが

またひとつ開かれる。