月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

マトモじゃない方がまともかも。

昔のわたし

昔のTwitterログ見てた。

ちょうど、2010年頃。

 

なんか今よりまとも。

 

この頃は、ちょうどTwitterが認知され始めたころで

茂木さんが好きだった私は

彼を追っかけてTweetしてた。

 

2011年に入る前頃から

著名人の告知ばっかりになっちゃって

洗脳されそうになった私は

その辺でやめちゃった。

 

洗脳されそうっていうのは

外からの情報で頭がいっぱいになって

思考停止になっちゃうことね。

 

だから、ここ5年くらいのtwitterの盛んな動きを

私は知らない。

 

昔からずっと続けてる人って、

それだけですごいと思う。

 

過去ログ

これから美容室〜

 

昨日はドガ展見てきた〜@横浜美術館
写真展も見ると面白いよ〜

 

 

*衝撃的な内容(ご覧になる場合はご注意を)
天安門事件の写真 http://t.co/K9P1IzT via @youtube
2007年報道ワイド日本

名前しか知らなかった・・すごいショック・・・

 

 

インド行き(一ヶ月くらい)を
このところずっと悩んでいたけど、
なんだか世界を知りたくなった・・

 

ブログも書いてるんだけど、自分の内面で感じたことを表現するのって難しいね‥空気感は伝わってるらしいんだけど、どうしても情景描写になっちゃう。

 

5000年の歴史には誰も適わない。

言葉は 必要な時に蓄積の中から出てくるもの

 

 

キミが自分の才能に気付いた瞬間から、それは自分だけのものではない。
by ライトマン博士

 

 

2つの人格(キャラクター)を使い分けることは、私にとって精神的なバランスを保つ上で非常に有効。3つになると、ちょっとキャパオーバーかな。

 


短期的なストレスは、男性にとっては脳の機能の上昇(脳神経の活性化)を、女性にとっては低下(不活性化)をもたらすらしい。それが女性にうつが多い原因とも言われる.

 

 

姜尚中さんの講演会に行ってきました〜。予定していなかったサイン会をしてくださって、サインと握手してもらった♪なんていうか、色気がありますね。ドキドキした・・・

 

姜尚中ほりえもんは対極?かな。今度ほりえもんの講演会にも行くのです。楽しみ☆

 

その個人は苦手でも、そのひとの○○は好きっていうのはあると思う。たとえば、音楽。

 

 

贈り物は相手のために受け取るもの

 
 

”幸せ”を感じられる感性

 

「世界を変える為に」は、恐らく集団の統率の為の言葉

 

「ボクは誰かを(世界を)変えられるんだ」っていうやつは、驕っているようにしか見えない。本当にそう出来る人は、結果で示せばいい

 

 

求められる以上にやたらと与えたがる人は、本当は”自分が与えて欲しい”っていう感情の現れだと思う。能動的な分、与えて欲しいと思っている人より厄介。だだっこじゃないか( ゚д゚)ノオイッ!

 

昨日のこと:新宿なう。今日はモギケンの、英語関連の本の出版記念講演(販促イベント)に行ってきた。アグレッシブな方で、こちらも元気になる。英語学習について、というより、世界の中における日本人の現状の位置、今後の展望など、グローバリゼーションについてのお話

昨日のこと:強烈だった〜 さて、モギケンの話。日本人に価値がないんじゃなく、みんな何故か意識的に世界での位置を低めていると。素晴らしき翻訳文化の副作用だそう。いなるほど、な話。これからは各々が"英語"で"自国"を発信しようと呼び掛けていた。

 

週末、チケット取れたら”能”を鑑賞してくる。初めて。ほとんど知らないけど、あの重厚な空気感に強く惹かれる。

 

 

能鑑賞は突然思い立った。そういう感覚を大事にしたい。

 

 

 

自分が見えてない人ほど、人の批判をよく(頻繁に)する。

 

 

おそらくは自国や自分自身への、深い部分での否定意識と、それによって生じる不安、フラストレーション、自分への自信のなさが、そうさせるのだろう。

 

 

今まではそれで十分だったのが、ここにきて、英語が出来ない為に日本が世界から取り残されていると、誰もが感じ、不安を強めているのだという。世界の最先端の”面白いこと”(おそらく、知的文化的に)は、英語の場でおこり、そこで”英語”で激論を交わすことができないと、土俵にさえ立てない。

 

英語から日本語への流れはあっても、日本語から英語(日本から英語圏≒世界)への発信は、新渡戸稲造の『武士論』以来、止まってしまっている。100年以上前のことだ。自国から発信しないため、評価されるべきものも、評価されていない。

 

 

例えば、”通”のそばの食べ方、頼み方であっても、バーテンダーのカクテルの作り方、動きの繊細さをみても、日本の繊細さ、能力の高さがよく分かる、という。

 

 

それを英語で、熱く語れたら、それだけで尊敬されるよ?と。

 

 

みたいなことを、昨日行ってました。

 

 

 

私も自分を遊ぼう。

 

勝間和代は、賛否がはっきり分かれそうなひとだけど、彼女は彼女で「私はこういう考えでこういう生き方をしてきてんのよ。他のひとがどう思うか知らないけど、こういう生き方で幸せ感じられる女もいていいじゃない」という、一種マドンナ的、提案者だと思う。平和的解釈か?

 

 

 

松井久子監督 映画「レオニー」鑑賞:レオニー・ギルモアに見る映画の中のフェミニズム: http://t.co/6hc8kYs

 

 

最近のマイブームは、きゃべつ!!油多めで炒めたときの食感が好きなの♪

 

 

ZEDの舞台に上ってみたい!  #Piku_zed+みんなで+@Pikujp+をフォロー!+3万9千フォロワー達成で、シルクドゥソレイユZED(ゼッド)を貸切っちゃえ!http://bit.ly/d6G4IM

 

それぞれ(個々人)の美学を発信する。それが世界を作る。新しい時代、新しい価値観、新しい社会構造のはじまり。

 

 

4〜5時くらいからBS1のニュースをずっと見てる。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、中国、韓国、ロシア、イタリア、ブラジル、イラク、その他・・世界中のテレビ局のニュースをピックアップしてくれるから日本の視点だけでなく、いろいろ見れて面白いし、感覚がクリアになる気がする。

 
 

日本について考えるとき、政治家は純粋なブレインとしてのチームを機能させるべきだと思うし、外交については第三者専門調査組織を作るべきだと思う。一人が何もかも完璧にこなすなんて無理な話だし、負担がかかりすぎている現状を考慮せずに厳しい批判を受けるなんて、理不尽とすら感じてしまう。

 

 

ところで、うながっぱ可愛い♪ 暑さをこれで乗り切ろうなんて、素敵な感覚じゃないか? ファンタジーに偏り過ぎとか言われるけど、独特のユーモアセンスなんだろうな。 肩の力が抜けますね。

 

 

交渉で大事なのは、相手に望む通りに動いてもらうこと、だそう。自分の状況(カード)を見せて事情を説明したら、理解して(気持ちを踏んで)望み通り動いてくれるだろうと、私たちは思いがちだけど(たぶん古来よりの日本社会はそれで成り立ってる)、それは間違いなんだそう。

 

ディクショナリー倶楽部。会場にいたけど、かなり後半かなりイライラした。良くよく見て聞いて感じたら分かるけど、本質的な議論になっていない。残念だった。なんてこと本当は言う立場にいない自分は、とにかく頑張るしかない。

 

 

 

Gina Salaのキルタンのワークショップに参加。2日間で、いっぱい泣いた。他人を信頼出来ないというのは、大いなるエゴなのだと気づいた。

 

 

グラウンディング・・・

 

 

自分にはどうしても理解出来ない領域のことを、無理に理解しようと努める必要はない。祝100ツイート!!

 

 

同じように、自分が心から信じるもの、直感的にそうだと確信するものが、他人から理解されないとしても、自分を卑下する必要はない。

 

 

 

自分にはどうしても理解出来ない領域のことを、無理に理解しようと努める必要はない。

 

 

 

評価しない。肯定も、否定もしない。自分も、他人も。そういう心理的側面を持つことも大切だと思う。

 

 

まとめ

20代の、悩める、若きわたし。

 

いっぱい考えてて、

ほんと、今より考えてるかも。

 

2010年は放浪していた時代で、

なんとか世界を理解しようとしてた。

 

そのあと主に会社員をして、

何も考えなくなった。

 

何も考えなくなった、

というか、世界について考える必要がなくなって

むしろ余計な考えは邪魔だったから忘れてしまった。

 

考えることを忘れた人間って、

幸せなのか愚かなのか、

悩むところよね。 

 

それに

よく考える方がマトモなのか、

考えない方がマトモなのか、

 

考えると分からなくなるから

考えない方がマトモなのかも知れない。