安野モヨコ~作家と娼婦の共通点~
安野モヨコの8年ぶりの新作『鼻下長紳士回顧録』
安野モヨコといえば、
実写映画化された『さくらん』
ドラマ化された『働きマン』が有名な人気漫画家。
8年ぶりに新作が出たらしい。
以下は安野さんと直接の交流もある佐渡島 庸平さんの書評。
新しい作品が書きあがるまで8年も要した安野さんの心境を
佐渡島さんはこう分析する。
マンガを描くとは、楽しい行為であると同時に精神をすり減らす行為でもある。少なくとも、安野モヨコにとってはすり減らす行為だ。
作品という形に昇華させるとはいえ、自分というものをすべてさらけだし、それに対して、人々は好き放題言う。それをすべて受け入れないといけない。受け入れるときに、少しずつ他人には気づけない量だけど、精神は削られていく。
安野モヨコが、自分の弱みもさらけ出し、等身大の自分を描こうとしている時、舞台が娼館になっている。今まで安野モヨコが、娼館を描いてきたのは、毎回、壁にぶちあっている時でもある。自分を回復させるために、自分の心を見つめ、正直になろうとすると、自然と娼館が舞台になるのだ。
「そこは底なし沼みたいな場所
頑張れば抜け出すこともできるし
運がよけりゃ旅人が助けてくれることもある
でも…一度足を入れてしまったら
必ず泥の跡がつく私は知らなかったのだ
その深い沼の周りには白い花が咲き
沼の表面には美しい枯れ葉が幾重にも重ねてしきつめられていることをー
恐ろしい場所というのは何でもない顔をして
私達を待ち構えているのだということを」
この説明、作家という職業を説明しているように僕には思える。安野モヨコは、休んでいる間に作家ではない、違う生き方を選ぶという選択肢もあった。でも彼女は、漫画を描くことを選んだ。作家も抜け出すことができないタイプの職業なのだ。
めっちゃ、面白そう。
女子的には
彼女の美的センスが作品の魅力。
絵の構図、キャラクターの顔だち、
洗礼されたファッションセンス。
そこに鋭い精神描写力が加われば、
好きにならざるを得ない。