月のうろこを食べるへび

マトモじゃないわたしがマトモに生きようとする奮闘記。夢の記憶、どこかで見た景色、ふと感じたこと。思うままに書いていきます。

二度と、誰かを失うことなんて。。臆病な私と記憶の不在

臆病な私:愛することへの恐れ

 

心から通じあった

誰かを失うことなんて

もう二度と

経験したくない。

 

人との関係性を築くことに

私が臆病になりがちなのは、

 

人に対してどこかで距離を置いて

他人ごとのように見てしまうのは、

 

愛することへの恐れから来ている。

 

もう一度アレを経験したら

私は「私」を支えきれず

すべてが崩れ去ってしまいそうで

とても耐えられない。

 

 

記憶の不在:この想いはどこからくるのか

私は、幸いにも

近しい親族や友人を亡くしたことはない。

 

齢80を超える祖母も

まだ元気にしている。

 

親戚や友人の中には

亡くなってしまった方もいるけど

 

年に1回も会わないくらい疎遠か

私が本当に小さい時のことだったから

そこまで衝撃がなかった。

 

(悲しくないわけじゃないけど

 彼らはまだどこかで生きている気がして

 失ったわけじゃないって思える)

 

つまり、何が言いたいかっていうと

「もう、二度と経験したくない」

と切に思いながら、

実はその経験の記憶がないのだ。

 

不思議な話だけど

経験したことのないものを

再び経験することを怖がってる。

 

失ったことがないのに

失いたくないと思っている。

 

では、この「失いたくない」想いは

どこから来るのだろう。

 

小学校の時に大好きだった先生が

転校してしまって悲しかった記憶はあるけど

(これはトラウマになった)

想いの根源は、もっと深くにある気がする。

 

すごく、すごく、

深いところの感情。

 

youtu.be

 

 

↑を見たら急に感傷的になって

思春期に戻ってます。

でも、今日はこれでいいのです。