二度と、誰かを失うことなんて。。臆病な私と記憶の不在
臆病な私:愛することへの恐れ
心から通じあった
誰かを失うことなんて
もう二度と
経験したくない。
人との関係性を築くことに
私が臆病になりがちなのは、
人に対してどこかで距離を置いて
他人ごとのように見てしまうのは、
愛することへの恐れから来ている。
もう一度アレを経験したら
私は「私」を支えきれず
すべてが崩れ去ってしまいそうで
とても耐えられない。
記憶の不在:この想いはどこからくるのか
私は、幸いにも
近しい親族や友人を亡くしたことはない。
齢80を超える祖母も
まだ元気にしている。
親戚や友人の中には
亡くなってしまった方もいるけど
年に1回も会わないくらい疎遠か
私が本当に小さい時のことだったから
そこまで衝撃がなかった。
(悲しくないわけじゃないけど
彼らはまだどこかで生きている気がして
失ったわけじゃないって思える)
つまり、何が言いたいかっていうと
「もう、二度と経験したくない」
と切に思いながら、
実はその経験の記憶がないのだ。
不思議な話だけど
経験したことのないものを
再び経験することを怖がってる。
失ったことがないのに
失いたくないと思っている。
では、この「失いたくない」想いは
どこから来るのだろう。
小学校の時に大好きだった先生が
転校してしまって悲しかった記憶はあるけど
(これはトラウマになった)
想いの根源は、もっと深くにある気がする。
すごく、すごく、
深いところの感情。
↑を見たら急に感傷的になって
思春期に戻ってます。
でも、今日はこれでいいのです。